【コラム第1回】あるいは「ヨシザトヨシザト人」(朗読と地名について)
東北の一自治体が「よっしゃ日本から独立するっぺ」と立ち上がる痛快小説があります。三文小説家が大統領になったり(代表作は『失われた記憶を求めて』。プルーストじゃないんだから)、金本位制が復活したり(第一次世界大戦後じゃあるまいし)、もうそれはもうハチャメチャで読み物としてとても面白いのです。新潮文庫で上中下巻で出ているこの作品『吉里吉里人』は「ひょっこりひょうたん島」などで知られる井上ひさし作です。機会があったら読んでみてくださいませ。
さて、何を今回提起したいかというとズバリ地名の読みです。
(広義の)SFがちょいと好きなワタクシ、大学生の時にこれは読まねばと大学生協の書店を探しましたが見つからず、注文をして同じ書店で引き取ることにいたしました。しばらくたったある日、生協の学生アルバイトと思われる方から電話がありました。
「もしもし、笠島様ですね。ご注文のヨシザトヨシザトジンが入荷しました!」
この時の返答は2パターンが考えられます。なぜ2パターンが考えられるかは選択肢を見ていただければガッテンしていただけます。
A「ありがとうございます。近いうちに伺います!」
B「あ、きっとキリキリジンのことですね。ありがとうございます。近いうちに伺います!」
もうお分かりいただけたと思います。『吉里吉里人』の読みは「ヨシザトヨシザトジン」
ではなく「キリキリジン」なのですね。『吉里吉里人』が話題となり、ミニ独立国家がブームになった頃を経験していない若い世代が読めないのはアタリマエ。決してアルバイトの方を指弾したいのではありません。私にツッコミの勇気はなく、無難にAでお答えしました…。
でも、朗読では命取りになることがあります。
このブログ・ホームページを運営しているプロトスターは函館の団体です。
函館に関する作品を朗読している人がいないかしら…?とYoutubeで探すと結構あるもので、そのうち亀井勝一郎(1907~1966・函館出身)の『函館八景』を朗読している方がいらっしゃいました。その方の出だしの朗読はこうでした。(あえて平仮名で書きます)。
「れんらくせんにのってはこだてへちかづくと、えやまにつらなるおかのうえに…」
函館御在住の方はもう気付かれたかと思います。函館に恵山(えさん)という山はあれども、恵山(えやま)という山はありません。恵山の読みを知らない全世界の人が見ると仮定すれば、まだ許容(?)されるかもしれないですけど、もし自分が函館近郊に住む人たちに向かってこの通り「えやま」と読んでいたら…、と思うとゾっとするではすみません。きっとお客様は違和感を覚えそこから聞く気をなくしてしまうでしょう。ああ、函館での朗読生命は断たれてしまうに違いありません。
…なんだか他人の批判のような物言いが続いていますが、注目していただきたいのはそこではなく、とどのつまり何が言いたいかというと、地名の読みはしっかり調べてから朗読しよーぜ!!!ということです!!!手間かもしれないですけど。
『函館八景』をプロトスターでも取り扱おうと思ったところ、さてさて今度は「鮫川」という地名が出てきます。ところが、ルビが振られていない。「さめ“が”わ」か「さめ“か”わ」か。函館は広し、少し離れたところに住んでいるワタクシはあいにく見当がつかない。ネットで調べる。出てこない。団員に聞いてみる。「確証は持てないや」という返事。う~む、困った。おそらく「さめ“が”わ」だとは思うんだけど…。そんな時ワタクシの心の中のマリー=アントワネットはこう仰せになりました。
「ネットに載っていないのなら、現地で調べればいいじゃない」
そうね…、そうね…、そね…、曽根崎心中と、心の中でうなずくうちにどうでもいいダジャレまで生まれてきてしまったので、ええいままよ、と別の団員と2人で調査することにしました。
産業道路と呼ばれる道路を、美原から湯の川方面に走って行きます。
「あ、看板だ!!!!!」
(※助手席から撮影しています)
「遠くて読めん!!!笑」
というわけで駐車し、改めて確認すると…
はい「さめがわ」でした。よかったよかった。
朗読は、技術的なことももちろん大事なのですが、文章を一つ一つ丁寧に読み込んでいくこともとても重要な作業になっていくことを心にとどめておきたいものですね。
今後、不定期で笠島が朗読に関するコラムをお届けします。第2回のテーマは「高校放送部と朗読について」で考えております。
(文・笠島)
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